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尾崎豊「太陽の破片」歌詞の意味を考察!最初で最後のテレビ出演で熱唱!

尾崎豊「太陽の破片」歌詞の意味を考察!最初で最後のテレビ出演で熱唱!
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この記事では尾崎豊「太陽の破片」歌詞の意味を考察!最初で最後のテレビ出演で熱唱!についてお届けします。

尾崎豊さんの楽曲で「太陽の破片(たいようのはへん)」という作品があります。

この曲は覚せい剤取締法違反で逮捕された尾崎豊さんが拘置所で歌詞を書きあげたそうですが、「太陽の破片」の歌詞がどういう意味なのか考察しました。

またテレビに出ないことで有名な尾崎さんですが最初で最後のテレビ出演で「太陽の破片」を熱唱しています。

それぞれ見ていきましょう!

 

尾崎豊「太陽の破片」歌詞の意味を考察!

太陽の破片は1988年6月22日にリリースされた7枚目のシングルでオリコンチャート最高3位、売り上げ枚数は25.2万枚の大ヒット曲になりました。

発売当時の販促用ポスターでは、「たいようのはへん」ではなく「たいようのかけら」と記載してあり、当初は「たいようのかけら」が正式名称として認識されていました。

その後テレビ出演時に「たいようのはへん」として紹介され「たいようのはへん」が正式名称となりました。

まずは太陽の破片の歌詞を見ていきましょう!

 

「太陽の破片」歌詞

昨夜眠れずに 失望と戦った
君が悲しく見える 街が悲しいから
昨夜一晩中 欲望と戦った
君を包むもの全てが 僕を壊すから

すり変ってゆく
現実とのはざまに描いた夢が
愛を傷つける
暮しはただ 街明りに照らされ
何を信じるの どこへ向かうの
僕の手も握らずに 消えるのは何故

誰も手をさしのべず
何かに怯えるなら
自由 平和 そして愛を何で示すのか
だから一晩中 絶望と戦った
僕はただ 清らかな愛を信じている

目をつぶってみる
涙がほら渇くまでの間に
忘れられるさ
破れた約束の前で人はいつも偽りつづける
だけど 君をもう欲望の果てに ただ
奪われたくはない

君を守りたい 悲しみこぼれぬよう
あわれみが 今 希望の内に生まれるよう
もし君が暗闇に光を求めるなら
ごらん 僕を 太陽の破片が頬をつたう

昨夜眠れずに
昨夜眠れずに

 

眠れずに戦ったものとは?

太陽の破片の歌詞の中で眠れずに、一晩中戦ったものとして出てくるのが「失望・欲望・絶望」です。

10代の教祖として活躍していた尾崎豊さんは20歳になり大人になったことで、音楽の方向性に悩み無期限の活動休止を宣言し単身ニューヨークへ渡米します。

方向性が見えず悩み苦しんでいた尾崎さんは、ニューヨークで覚せい剤に手を出してしまいます。

そしてこの時に「太陽の破片」の歌詞を書き始め、帰国後、覚せい剤取締法違反で逮捕され拘置所の中で「太陽の破片」を書きあげています。

 

失望

昨夜眠れずに 失望と戦った 君が悲しく見える 街が悲しいから

まず、君とは恋人のことだと思われます。

街が悲しいの街とは社会ではないでしょうか。

尾崎豊さんが楽曲に悩み孤独になり、また自分の意としない事務所の移籍なども重なり、周りの人間を信じられなくなり、誰を何を信じればいいのか解らない、その苦しみを街(社会)が悲しいと表現しているのではないかと思われます。

悲しいとは信じられないということで、尾崎豊さんは大切な恋人さえも信じられないと思ってしまうことがあり、それが君が悲しく見えるということではないでしょうか。

 

欲望

昨夜一晩中 欲望と戦った 君を包むもの全てが 僕を壊すから

欲望とは薬(覚せい剤)の事かと思われます。

君を包むものとは社会のことだと考えると、薬が自分自身を壊してしまう(ダメにしてしまう)と表現しているのではないかと思われます。

歌の後半に「だけど 君をもう欲望の果てに ただ 奪われたくはない」という歌詞があります。

ここの欲望を薬だとすると、薬に頼りつづけて、君(恋人)と離れたくはないという解釈ができます。

覚せい剤取締法違反で逮捕され、離れ離れになり改めて気づいた恋人の大切さ。

その思いを表現しているのではないでしょうか。

 

絶望

すり変ってゆく 現実とのはざまに描いた夢が 愛を傷つける
暮しはただ 街明りに照らされ 何を信じるの どこへ向かうの
僕の手も握らずに 消えるのは何故

誰も手をさしのべず 何かにおびえるなら 自由 平和 そして愛を何で示すのか
だから一晩中 絶望と戦った 僕はただ 清らかな愛を信じている」

絶望とはおそらく尾崎豊さんの今の状況ではないかと思われます。

悩み苦しみ孤独になり、覚せい剤に手を出し逮捕されて、社会に知れ渡り、何を信じればいいのか、この先どこへ向かえばいいか、誰からも見放されてしまう、そんな状況のことを絶望と表現しているのではないでしょうか。

失望・欲望・絶望が渦巻くこの社会だけど、愛だけは清らかなことを信じたい。

そんな思いがあるのでしょう!

 

太陽の破片とは

君を守りたい 悲しみこぼれぬよう あわれみが 今 希望の内に生まれるよう
もし君が暗闇に光を求めるなら ごらん 僕を 太陽の破片が頬をつたう

尾崎豊さんは、自身が抱えている失望・絶望・欲望そして生きづらさ、そんな先が見えない暗闇の中からやっと少し光(希望)を見つけた。

だからもし君(恋人)が同じように憎しみや悲しみで心が壊れて、暗闇に迷い込んでしまったら僕を見てごらん。

僕が暗闇を照らす光(希望)になるから。

つまり太陽の破片は希望の光のことで、僕が太陽の破片(希望の光)になって君(恋人)を守るからね。

太陽の破片の歌詞にはそういう思いが込められたメッセージではないかと私は解釈しています。

 

尾崎豊「太陽の破片」最初で最後のテレビ出演で熱唱

 

尾崎豊さんが、最初で最後のテレビ出演をしたのは1988年6月22日にフジテレビ夜のヒットスタジオDELUXEです。

1987年12月に覚せい剤取締法違反で逮捕された後の復帰作として出演し「太陽の破片」を歌いました。

 

「どうも、ご心配をおかけしました。」

「僕の素直な気持ちを曲にして、これからずっと歌っていきたいと思ってます。」

と話し、スタンバイに入ります。

曲が始まった直後、その思いをぶつけるように叫びから入り、顔をくしゃくしゃにしながら歌う姿が印象的ですね。

生放送で尾崎豊さんの熱唱を見ていた多くの人達は衝撃を受けたそうです。

司会の古舘伊知郎さんも尾崎豊さんが出演された時のことはすごく印象に残っていると語っています。

この約3ヶ月後の9月12日に一夜限りの復活ライブ「LIVE CORE」を東京ドームで行い、約56,000人を動員し、完全復帰を果たします。

LIVE COREは当時の所属事務所の問題もあり、リリースされたアルバムが完全版ではありませんでしたが、2013年3月20日に「LIVE CORE 完全版〜YUTAKA OZAKI LIVE IN TOKYO DOME 1988・9・12」としてリリースされました。

そして今年の2024年4月25日の尾崎豊さんの命日にU-NEXTにて「LIVE CORE 完全版〜YUTAKA OZAKI LIVE IN TOKYO DOME 1988・9・12」が独占配信されます。

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まとめ

 

今回は尾崎豊「太陽の破片」歌詞の意味を考察!最初で最後のテレビ出演で熱唱!についてお届けしました。

太陽の破片は希望の光のことで、尾崎豊さんが失望・絶望・欲望、そんな先が見えない暗闇の中から少し光(希望)を見つけたから、もし君(恋人)が暗闇に迷い込んでしまったら僕が太陽の破片(希望の光)になって守るからね。

そんなメッセージではないでしょうか。

最初で最後のテレビ出演となる「夜のヒットスタジオ」では太陽の破片を熱唱し、見ている人たちに衝撃を与えていました。

その後、東京ドームで行われた復活ライブ「LIVE CORE」で見事に完全復帰を果たしています。

最後までお付き合いいただきありがとうございました!