この記事ではアントニオ猪木はブラジルのハーフ?名前の由来や生い立ちを調査!についてお届けします。
「元気ですかー!」でおなじみのプロレス界のレジェンド「アントニオ猪木」さん。
TV番組や講演会などでは、アントニオ猪木さんによる闘魂注入のビンタが有名ですね!
そんな国民的スターのアントニオ猪木さんですが、名前のアントニオからブラジルのハーフなの?という声があります。
そこで今回アントニオ猪木さんがハーフなのか、名前の由来や生い立ちについて紹介していきます。
目次
アントニオ猪木はブラジルのハーフ?
思春期に勇気付けられた一冊。もう一度
元気な姿を見たい。今こそ苦しみの中から立ちあがってほしい!#アントニオ猪木 #燃える闘魂#プロレス#格闘技#総合格闘技 pic.twitter.com/wuYppvAOWr— 朝顔の夜遊び🍷 (@sunamajiri2018) June 17, 2022
アントニオ猪木さんは1960年にプロレスデビューしています。
その時のリングネームは猪木寛至。
あれ、アントニオ猪木じゃないの?って思う方もいらっしゃいますよね。
実はアントニオ猪木さんの本名は猪木寛至(いのきかんじ)なんです。
ご両親は父、母ともに日本の方です。
ご両親について見ていきましょう!
アントニオ猪木の父
アントニオ猪木さんの父は猪木佐次郎さん。
父親の猪木佐次郎さんは鹿児島で生まれています。
熊本一中から関西大学を卒業し内務省へ入っています。
かなりのエリートですよね。
その後、警部補になったが退官し横浜の祖父が経営していた石炭問屋を継ぎました。
第二次世界大戦後、日本自由党に入党し横浜市会議員に立候補するなど政治家として活躍しようとしていた矢先、急死してしまいました。
アントニオ猪木さんが5歳の時だそうです。
ちなみにアントニオ猪木さんの祖父は相良寿郎さんという方でかなりの資産家だったみたいです。
すごい家系ですよね。
このことからアントニオ猪木さんの父親は日本人だということが分かります。
アントニオ猪木の母
アントニオ猪木さんの母は猪木文子さん。(旧姓は相良文子)
母親も日本人です。
アントニオ猪木さんの父親が亡くなり、実家の石炭問屋も倒産してしまい家族でブラジルに移住しています。
生活はかなり苦しかったようですが、その当時に母から言われた「たとえ貧乏な生活しても、心の貧乏人にはなるな」という言葉がアントニオ猪木さんの心にずっと残っているそうです。
その言葉が、現在までのアントニオ猪木さんの活躍の原動力になったのでしょう!
アントニオ猪木さんはハーフではないことが分かりましたね。
ブラジルのハーフ?という声があるのは、ブラジルに住んでいたという事と、アントニオ猪木という名前からなんです。
でも、なぜアントニオなのでしょうか?
気になりますよね?
次にアントニオ猪木さんの名前の由来について見ていきましょう。
アントニオ猪木の名前の由来は?
6月26日は猪木vsアリの日。
蹴りOKのルールを飲ませた猪木も飲んだアリも素晴らしい。
まさに異種格闘技戦。#アントニオ猪木#モハメドアリ pic.twitter.com/OnDe8PUsDm
— 支部長(若旦那) (@shinpro_nozawa) June 25, 2022
猪木寛至からアントニオ猪木に改名したのが1962年11月9日に沖縄県那覇市での試合でした。
アントニオ猪木という名前の由来についてはいくつかの説があります。
アントニオ猪木の名前の由来1
アントニオ猪木さんの先輩レスラーだった「豊登」が当時の名レスラー「アントニオ・ロッカ」の名前にあやかって名づけた説です。
これが一般的とされているみたいですね!
アントニオ猪木の名前の由来2
当時国民的スターだった「力道山」がブラジル遠征中に猪木さんをスカウトし、日系ブラジル人として売り出そうと考えてポピュラーな名前のアントニオを付けたという説です。
カナダのプロレスラー「グレート・アントニオ」からとったという説もありますね!
なぜいろんな説があるのかというと、アントニオ猪木さんが過去にインタビューでこう答えているからかもしれません。
記者がアントニオの名前の由来を覚えているか聞いたときアントニオ猪木さんは「何だったかなって思って」と答え、気が付けばアントニオになっていた?との質問に「そうですね」と言っています。
本人がいつ名前が変ったのか分かってないなんて面白いしなんか天然な感じがしますよね。
結局名前の由来についてはいくつかの説があって、そうなったのはアントニオ猪木さん自身も分かっていないということからなのでしょう!
アントニオ猪木の生い立ち
「勝つにしろ負けるにしろ完全決着がついてたら今頃、アントニオ猪木と新日本プロレスはどうなっていたのだろう?」とDVDを見て思った。 pic.twitter.com/1KzFbIQXpC
— ながぴー (@abac91384faf49d) June 26, 2022
アントニオ猪木さんは神奈川県横浜市鶴見区で11人兄弟の9番目として生まれました。
実家は石炭問屋で裕福な暮らしでしたが5歳の時に父が亡くなり、第二次世界大戦後にエネルギー資源が石炭から石油に代わったことにより石炭の需要がなくなり倒産してしまいます。
小学校3年ごろから身長が大きくなっていき卒業するころには一番大きかったそうです。
力は強かったが、運動神経は鈍く足も遅かったそうで「ドン寛」「運痴の寛ちゃん」と呼ばれていました。
中学は横浜市立寺尾中学校に入学しバスケ部に入部しましたが、上級生とトラブルになり殴って退部させられ、兄がやっていた陸上部に入りました。
砲丸投げに打ち込み中学1年の時には国体に出場しています。
しかし中学2年の時に実家の石炭問屋の倒産により生活が厳しく、貧困を抜け出せるかもしれないということで母、祖父、兄弟とともにブラジルへ渡ります。
ブラジルではコーヒー農場で働くことになり、朝5時に起きて夕方5時までコーヒ豆の収穫をするなど凄く辛かったそうです。
その後は綿花、落花生の畑で働き、落花生が豊作で貯金もできサンパウロへ移住することになりそこで力道山に出会うことになります。
プロレスの道へ
サンパウロに移住した猪木さんは青果市場で働きます。
青果市場の市場町が力道山の招集委員をしていて、力道山がサンパウロに来た時に「有望な若手のプロレスラーを探している」と言われたので猪木さんを推薦し力道山の泊っているホテルへ連れていきました。
猪木さんを見た力道山は「上着を脱いで背中を見せろ」と言われ見せたところ「俺と一緒に日本に来い」と言われ一緒に日本へ行ったそうです。
これが猪木さんがプロレスラーになったきっかけになります。
それにしても当時の国民的スターのプロレスラー「力道山」に会えるだけでもすごいのに、スカウトされてしまうなんて普通じゃ考えられないですよね。
そして、その後はアントニオ猪木さん自身が国民的スターの道を歩むわけですから、何か「運命」的なものを感じてしまいます。
まとめ
アントニオ猪木対モハメド・アリの格闘技世界一決定戦から、46 年後の世を私たちは今生きている。それにしても、対峙するだけでこれだけ絵になる両雄は他にないのではないか。 pic.twitter.com/BNRif84ttN
— イエデビ【黄色い悪魔】 (@yelldevi) June 25, 2022
今回はアントニオ猪木はブラジルのハーフ?名前の由来や生い立ちを調査!についてお届けしました。
アントニオ猪木さんの本名猪木寛至(いのきかんじ)で父親は猪木佐次郎さん、母親は猪木文子さんでご両親とも日本の方です。
ブラジルに住んでいたことと、名前のアントニオからブラジルのハーフなのでは?という声がありますが実際は日本人です。
アントニオ猪木の名前の由来はいくつか説があり、有力なのはアントニオ猪木さんの先輩レスラーだった「豊登」が当時の名レスラー「アントニオ・ロッカ」の名前にあやかって名づけた説と言われています、
他にはアントニオ猪木さんの師匠「力道山」が日系ブラジル人として売り出そうと考えてポピュラーな名前のアントニオを付けたという説、またカナダのプロレスラー「グレート・アントニオ」からとったという説があります。
アントニオ猪木さん自身も「気づいたらアントニオになっていた」と言っていて実際のところは、はっきりは分からないみたいです(笑)
おもしろいですね!
最後までお付き合いいただきありがとうございました!